南光寺の縁起
当寺が南光寺とする由来は、久安元年(1145年)、3月18日、梵僧南蔵法師が現れ、この地が佛場感應の地なりとすぐに安住する。3年後、3月18日一人の佛子を得る。また、彼に曰くこの地が人々を救済するのに適した場所として自ら南蔵庵と称し、人々は彼を崇敬する。建久八年(1197年)、征夷大将軍、源頼朝卿が信州善光寺へ御参詣の途中、御夢に佛場というべき草庵にて梵僧の御説法あり。御名を聞いたところ、我は南蔵法師と述べて卿は歓喜し、光明天を輝かして昇天する。卿は御夢の出来事に感銘を受けてその後、諸国社寺の再興に尽力した。当寺へご参詣したおりには御夢の出来事に感謝して、佛修山南光寺密蔵院となる。
南光寺 理念
宗祖 弘法大師様の教えのもとに
「済世利人」を志す
南光寺 目標
人々・社会・地域のために貢献する
南光寺 方針
・境内がきれいなお寺
・誰もが相談できるお寺
・心静かに休めるお寺
南光寺 ご本尊様
多くある形の観音様の中で根本総体となるのが聖観世音菩薩
「聖観世音菩薩」の願いとは・・・
すべての生きとし生けるものに耳を傾け、観じてその苦を抜き人々を救済します。そして、必ず幸福へ導きます。
「ご真言」は・・・オン・アロリキャ・ソワカ
当寺では別名(蟲封じ観音)と呼んでおります
※蟲封じ祈祷をされた方は蟲封じお守りをお渡しします
南光寺 ご住職
当山 第三十一世
住職 藤生義真
「初地と十地と高下無きが故に」 秘蔵紀より
結果だけが尊いのではない。ほとけに成ろうとするその努力が尊いのである。
平成31年4月より住職を拝命いたしました「藤生義真(ふじうぎしん)」と申します。
南光寺の副住職として11年、無我夢中の思いで目の前のことを必死に勤めてまいりました。
この度、住職という大役を仰せつかり、その責任の重大さを改めて痛感しております。
まだまだ、若輩者ではありますが、お檀家様をはじめ、地域の方々のためにお大師様の言葉「初地と十地と高下無きが故に」という言葉にあります、仏さまに成ろうとする努力、何かの目標に向かって努力することを怠らずに人さまのために邁進していく所存であります。
今後ともどうぞ、よろしくお願いいたします。
南光寺の狢(むじな)伝説
韮川村大字上小林の南光寺を中心として起こった物語である。
明治四、五年頃の出来事と伝えられる。非常に面白いことをする一匹の貉、休泊川の土堤に棲み、近隣の人家に様々な悪戯を行う。
ある時は同村善太郎の庭等にてあたかも車を挽き廻す音を立て、家の人が外に出てみるとその姿を消し、ある時は寝静まっている人家を起こすなど数々の悪戯を行った。これを世の人は南光寺貉の仕業と語り伝える。
数々の悪戯が同村の方々を悩ませ、ついに貉退治の儀が起こり猪越仲衛門を中心とし貉を退治した。同時に不思議とその悪戯は止まり、参詣する者多く、一時、非常に繁昌した。
その後、神に祀るに際し、当時の南光寺住職であった泰運僧正が祭式を司り、南光寺境内の一隅にある椿の木の所に埋葬した。 このお話が南光寺蟲封じの起源となっています。。。